第5回大会(1960年) 1位 リッカーミシン、2位 東京急行、3位 倉敷レーヨン ☆駅伝の大会が3月に集中していたため、12月に移転。その結果1960年は、3月に第4回大会、12月に第5回大会が開催。 ☆この大会から、地区推薦を行うようになり、各地で地区大会が行われる。 ☆オープン参加で沖縄から全沖縄チームが参加(沖縄は1972年に米から返還)。 ☆レースは、第4回大会を欠場したリッカーミシンの独壇場になった。リッカーミシンは3区で先頭に立つとそのまま2位に5分近い差を付け優勝。2位には、後にヱスビー黄金時代を築くことになる名将・中村清監督率いる初出場の東京急行(東急)。同じく初出場の小森印刷機械も前半トップに立つなど大健闘を見せ5位入賞。一方、前回優勝の八幡製鐵は6位、同2位の東洋ベアリングは7位だった。 |