旭化成陸上部の全日本実業団駅伝 第21回〜第40回大会    TBSより記事参照

第21回大会(1976年) 1位 鐘紡、2位 旭化成、3位 神戸製鋼(全27チーム)
☆1区では、9チームがおよそ10秒差の中でひしめきあう大激戦。その中で、執念の区間賞を獲得した鐘紡が、そのまま全区間トップを譲ることなく圧勝。2年ぶりの優勝を飾った。
☆鐘紡は全7区間の内、実に5つの区間賞を獲得した。 

第22回大会(1977年) 1位 鐘紡、2位 九州電工、3位 旭化成(全27チーム)
鐘紡と旭化成。当時の実業団駅伝を彩った2強による4度目の対決。ここで勝負を分けたのは、エース区間の6区だった。旭化成は宗猛、鐘紡は伊藤国光と並ぶチームのエース鎌田俊明。この両者の走りがまさにこの大会の順位を決定づけた。2番手で襷を受けた宗猛は、トップの鐘紡を追いつめるどころか、まさかの失速で後にいた九州電工にも交わされ3位に転落。一方、鐘紡の鎌田はプレッシャーを受けることなく余裕の走りで、1位をキープ。結局レースは、その順位のまま替わらず決着した。
区間賞は旭化成3つに対し、鐘紡は2つ。しかし、タイム差は鐘紡が3分上。効率の良い走りで連覇を達成した。

第23回大会(1978年) 1位 旭化成、2位 鐘紡、3位 新日鐵(全27チーム)
注目はやはり2強の対決。ところが、レースは思った以上にワンサイドに展開する。2区でトップに立った旭化成が、そのまま先頭を譲ることなく優勝した。
☆3連覇を狙った鐘紡は、両エース鎌田と伊藤が区間賞の走りで気を吐いたもが、旭化成の牙城を崩すには至らなかった。そして、ここから駅伝は旭化成時代へと突入していく。
宗 猛 後藤徳雄 佐藤市雄 北山吉信 児玉泰介 宗 茂 弓削 裕

第24回大会(1979年) 1位 旭化成、2位 九州電力、3位 リッカー※旧リッカーミシン(全28チーム)
旭化成が盤石の強さを見せた。レースは1区佐藤市雄から最終7区の児玉泰介まで、すべてトップでたすきを渡すという完全優勝を達成。2位九州電力に6分の差を付けた圧勝劇だった。
☆ライバル鐘紡は5位。だが、3区を走った鎌田俊明が当時の新記録となる11人抜きを見せた。小西六が4位と健闘を果たした。この時の小西六のアンカーは、現コニカミノルタ監督、酒井勝充。この大会で全国実業団駅伝デビュー。 
佐藤市雄 宗 猛 弓削 裕 河野房男  江内谷良一 宗 茂 児玉泰介

第25回大会(1980年) 1位 旭化成、2位 九州電力、3位 リッカー(全26チーム)
☆大会前日、金沢自衛隊と鐘紡の欠場が決まった。前者は演習、後者はエース伊藤国光が故障したための大会を断念した。
最大のライバル鐘紡がいない中、旭化成はこの大会でも圧倒的な強さを見せる。1秒差の2位で3区に襷をつなぐと、すぐさま首位をキープ。あとは旭化成の独壇場と化した。4区から最終7区まで4人連続区間賞を獲得。2位神戸製鋼に4分56秒の大差を付け、レコードタイムで優勝。チーム2回目となる三連覇を飾った。
宗 茂  後藤徳雄 弓削 裕 佐藤市雄 江内谷良一 宗 猛 児玉泰介

第26回大会(1981年) 1位 旭化成、2位 鐘紡、3位 リッカー(計28チーム)
☆女子長距離の育成を計るため、この大会から駅伝女子の部が始まった。
旭化成が史上初の4連覇を達成。
野田 浩 後藤徳雄 宗 茂 宗 猛 弓削 裕 児玉泰介 佐藤市雄

第27回大会(1982年) 1位 旭化成、2位 鐘紡、3位 神戸製鋼(計28チーム)
5連覇を目指す旭化成の前に立ちはだかったのは、やはり最大のライバル鐘紡だった。4区への中継点の時点でトップが旭化成、1秒差で鐘紡。旭化成は4区宗茂、5区松田勝志らが引き離しに掛かるが、鐘紡を振り切るまでに至らない。逆に6区で鐘紡の鎌田俊明が区間最高を記録。逆転を許し、20秒の差でアンカーへ。2位で襷を受けた旭化成のアンカー佐藤市雄は5連覇へ黄色信号が灯る窮地の中、冷静な走りで徐々に鐘紡を追いつめる。そして、中間点の手前で追いついた途端に、一気にスパートをかけ勝負を決した。
佐藤市緒は第7区で区間賞を獲得。これで4年連続8回目の受賞。その記録は、29回大会まで続くこととなる。6年連続・10個の区間賞は共に大会史上最多である。 
野田 浩 宗 猛 児玉泰介 宗 茂 松田勝志 弓削 裕 佐藤市雄

第28回大会(1983年)  1位 旭化成、2位 神戸製鋼、3位 鐘紡(計28チーム)
☆女子の部が岐阜に転出し、再び男子の単独開催となる。
☆1区では19秒間に13チームが入り込む混戦。3区で、鐘紡・伊藤国光が区間新・区間賞を記録し、鐘紡がトップに立つ。
☆伊藤国光は、デビューした18回大会から28大会までの出場10大会で、実に8つの区間賞を獲得。歴代2位の記録である。
旭化成は、スロースタート。4区宗茂・5区宗猛が区間賞を連続で獲得し、ようやくトップに躍り出る。ただ、後半に圧倒的な自信を持つ旭化成は、ここから他チームにつけいる隙を与えず、前人未踏の6連覇を達成した。
意外なことに宗兄弟が揃って区間賞を獲得したのは、この大会が唯一。
谷口浩美が旭化成の3区で大会デビューを果たした。
弓削 裕 姫野重行 谷口浩美 宗 茂 宗 猛 児玉泰介 佐藤市雄

第29回大会(1984年) 1位 ヱスビー食品、2位 旭化成、3位 日産自動車(計30チーム)
☆名門リッカーが業績不振のため、陸上部が廃部。白水昭興監督(現日清監督)以下、選手全員が日産自動車移籍となり、話題を集める。
☆名将・中村清監督率いるヱスビー食品が初出場を果たす。ヱスビー食品は、補欠無しギリギリ7名の選手ながら、瀬古利彦、ダグラス・ワキウリ、新宅雅也、金井豊、坂口泰(現中国電力監督)など、金の卵を抱負に揃えていた。そのため7連覇を目指す旭化成を押しのけ、優勝候補と目されていた。
☆ヱスビー食品は、いきなり1区から3区まで区間賞を連続で獲得し、序盤のうちに勝利を決定づける。終わってみれば5区間で区間賞を獲得(区間新は3つ、タイが1つ)、タイムも従来のレコードを8分近く更新。2位旭化成に4分14秒の差を付け圧勝した。駅伝は、旭化成時代からヱスビー食品時代へと移り変わっていく。
☆この大会からTBSのTV中継が始まった。 

第30回大会(1985年) 1位 ヱスビー食品、2位 日産自動車、3位 九州電工(計29チーム)
旭化成が、主力選手の故障続出で出場辞退。ヱスビー食品は、中村清監督の死去に伴い、瀬古が監督代理として自らは走らず采配を振るった。
☆レースはヱスビー食品と日産自動車の一騎打ち。日産自動車は3区まですべて区間賞を獲り、ヱスビー食品に43秒差を付ける。ところが、そこから4区間すべては逆にヱスビー食品が区間賞を獲得。6区で、ワキウリが日産自動車・工藤一良との激闘を制し先頭に立つと、その後は引き離す一方。結局、2分以上の差を付けヱスビー食品が連覇を果たした。 

第31回大会(1986年) 1位 ヱスビー食品、2位 旭化成、3位 日産自動車(計30チーム)
☆30回続いた伊勢路を離れ、舞台は琵琶湖畔の近江路へ。それに伴い距離も15キロ近く短縮され84.4キロに替わった。
復活を果たした旭化成とヱスビー食品の対決が注目されたが、レースは意外なほどあっさりと決まった。旭化成は、1区でトップに立ったものの、その後5区間で区間賞を記録したヱスビー食品に歯が立たなかった。
☆去年欠場した瀬古は、エース区間の5区で区間賞を獲得。瀬古がこの大会に出場したのは2回。共に区間賞を獲得した。 

第32回大会(1988年) 1位 ヱスビー食品、2位 日産自動車、3位 旭化成(計27チーム)
☆舞台は、上州路へと変更。日程も1月1日元旦開催となる。
☆ヱスビー食品は、脚の故障のため大黒柱の瀬古が欠場。しかし、1〜3区で区間新を記録し、序盤で4連覇を決めてしまう。ヱスビー食品は第1走者に中村孝生、アンカー金井豊と、共に地元群馬県出身選手を配置。余裕の構えで4連覇の偉業を達成した。
☆この大会から小西六はコニカに改称。 

第33回大会(1989年) 1位 日産自動車、2位 旭化成、3位 日本電気HE(計25チーム)
☆4連覇を果たしたヱスビー食品は、メンバーの故障のため、東日本予選にさえ出ることが出来なかった。(瀬古監督代行は、女性選手を出したいと願い出るが、男女云々の前にエントリーしていない選手の出場は認められないと、却下。)その後、合宿中の不慮の事故でメンバーを失う悲劇も重なり、ここから6大会連続で不参加となる。
王者不在の大会で見事初優勝を果たしたのが、日産自動車だった。当面のライバル、旭化成の背中を一度も見ることなく完勝した。 

第34回大会(1990年) 1位 旭化成、2位 九電工、3位 日産自動車(計24チーム)
前年優勝の日産自動車と、名門旭化成の一騎打ちとなった大会。そのハイライトは最長区間の6区。トップで襷を受けたのは日産自動車・工藤一良、6秒差で旭化成・森下広一が続く。二人は程なくして並ぶと、そのまま肩をぶつけるような激しい鍔迫り合いを、実に18キロに渡って展開する。そして、1秒差の首位で森下がアンカーに襷を渡す。森下はこれが、初めてのニューイヤー駅伝。後に五輪銀メダリストとなる勝負強さの片鱗を見せた。
日産自動車は、7区で九電工(旧九州電工)にも抜かれ3位。旭化成が実に6大会ぶりの優勝を果たした。第3期旭化成黄金時代の幕開け。 
谷口浩美 前田直樹 米重修一 亀鷹律良 熊谷哲哉 森下広一 西 政幸

第35回大会(1991年) 1位 旭化成、2位 日産自動車、3位 本田技研埼玉(計25チーム)
大会前、宗茂監督が「過去最強のメンバー」と語ったとおり、旭化成が圧倒的な強さを見せ連覇を果たす。区間賞こそ1区だけだったが、そこから一度もトップを譲る事なく4時間10分04秒の大会新記録を樹立、3つの区間賞を獲得した2位日産自動車に3分16秒の差を付けた。
☆順位がめまぐるしく移り変わる激しい3位争いを制したのは本田技研埼玉。過去最高の成績を収める。なんと鐘紡は7大会連続の4位。
☆3区を走った日本電気HEの本田竹春が、大会タイ記録の11人抜きを見せた。 
米重修一 西村 功 谷口浩美 久保田  石本孝幸  森下広一 西 政幸

第36回大会(1992年) 1位 旭化成、2位 九電工、3位 安川電機(計26チーム)
☆旭化成が2区から6区まで5区間連続で区間賞を獲得し、3連覇達成。2位九電工、3位安川電機で、九州勢が上位を独占した。
☆2区では九電工・井手健二が11人抜きを達成した。 
大崎 栄 米重修一 西 政幸 秋吉慎一 石本孝幸  森下広一 谷口浩美

第37回大会(1993年) 1位 旭化成、2位 九電工、3位 本田技研工業(計32チーム)
旭化成はエース森下広一が欠場。
1区から5区までは、旭化成・九電工・本田技研工業の3チームが3つ巴の展開。しかし5区から7区までの3区間で旭化成が連続区間賞を獲得。4連覇を果たした。
☆中国電力が初出場。13位と健闘する。 
佐保 希 石本孝幸  熊谷哲哉  田中敏大 米重修一 秋吉慎一 谷口浩美

第38回大会(1994年) 1位 旭化成、2位 本田技研工業、3位 鐘紡(計32チーム)
森下・谷口の不調の為、危機説が囁かれた旭化成だったが、終わってみれば区間賞4つ、2位以下を寄せ付けず5連覇を達成した。
☆3区ではMDIのA・ニジガマが12人抜き、NTT東京の武田裕明が14人抜きを達成。共にここまでの大会記録を塗り替えた。
☆1区の区間賞は鐘紡・高岡寿成。この大会でニューイヤー駅伝デビューとなった。五輪マラソンで2大会連続メダル獲得を果たすワイナイナもこの大会でデビュー。 
西 政幸 高尾憲司 大崎 栄 森下広一 石本孝幸  佐保 希 谷口浩美

第39回大会(1995年) 1位 旭化成、2位 鐘紡、3位 ヱスビー食品(37チーム参加)
☆空っ風が吹き荒れる中、久しぶりにヱスビー食品が出場。前年入社のルーキー3人(早大トリオ)がメンバーに名を連ねた。3区では、若手大物対決が実現。ヱスビー食品のルーキー花田勝彦と、前年、鮮烈なデビューを飾った2年目の高岡寿成。花田が高岡を10秒差で破った。花田は区間賞、高岡は区間2位だった。
1区を走った旭化成・高尾憲司は、6キロ地点で転倒。唇の上を4針縫うほどのケガを負うが、トップと15秒差の3位と力走を見せた。
結果は、前半もたついたものの、谷口らベテラン勢の活躍によって旭化成が2回目の6連覇を達成。鐘紡とヱスビー食品によるデッドヒートとなった2位争いは、鐘紡に軍配。また中国電力は5位。初入賞を果たした。
 高尾憲司 立花和紀  佐保 希 谷口浩美 大崎 栄 川嶋伸次 西 政幸


第40回大会(1996年) 1位 鐘紡※18年ぶり4度目、2位 旭化成、3位 エスビー食品(37チーム参加)
前人未踏、旭化成の大会7連覇がかかった一戦。ところが、旭化成は森下・谷口の両エースが欠場。一方、ライバル鐘紡は、高岡・早田俊幸の両エースを九州予選で温存。万全の体勢を敷いてきた。
☆前年に続いて3区では高岡と花田が鎬を削る。この年は、区間新に僅か2秒差まで迫った高岡に軍配。一方、花田はタイムこそ高岡に16秒及ばなかったもののトップで襷をつないだ。中盤まで、旭化成・鐘紡・エスビー食品が抜きつ抜かれつのデットヒートを演じる。6区でエスビー食品が遅れると、勝負は7区へ。まず旭化成・佐保希が、先頭を行く鐘紡・森宗寛司を猛然と追い上げ3・2キロでかわす。その後、森宗は佐保の背後に付き、逆襲の機をうかがう。残り1・2キロ。群馬特有のからっ風に吹かれ佐保がバランスを崩した。その隙を森宗は逃さなかった。トップに立ち逃げ切りを図る鐘紡・森宗と、必死に追う王者旭化成の佐保。勝負はわずか1秒の差で決着。旭化成7連覇の夢が潰えた瞬間だった。
☆日清食品がニューイヤー初登場。14位だった。 
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